被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト
玄海原発:町が描いた夢/1 弾み付けたあいさつ

 玄海町の九州電力玄海原発3号機で、今秋にも全国初のプルサーマルが実施され、使用済み核燃料の中間貯蔵施設議論も進むと見られる。「原発マネー」ともいえる多額の交付金で町の財政力は全国トップクラスに位置するものの、人口は年々減っている。地球温暖化への対応を背景に、原発への傾斜を強める九電。だが、住民の間には安全性への不安も根強い。九州初の原子力の火がともって34年。原発に未来を託した町の姿を見つめた。【関谷俊介】

==============

 08年10月7日、福岡市のJR博多駅近くのホテル。福岡を中心とした地元経済界や医療界から集まった約170人の参加者に、古川康知事が、ある施設の先進性と将来性をPRしていた。

 「九州先端医療がんセンター」(仮称)。県が2013年春のオープンを目指している炭素線がん治療施設だ。

 この治療は、炭素イオンを光速の6~8割に加速してがん細胞に照射し、消滅させる。体への負担は少ないが、先進医療のため国民健康保険が適用されず、治療費も300万円と高額だ。

 炭素線施設は世界的に少なく、日本でも公的施設が2カ所あるだけ。

 県の計画では、同センターの建設・運営を民間主体で行う。150億円とされる総事業費のうち、県負担分は20億円。そうそうたる面々を集めたホテルの会合は、残り130億円の資金援助を呼び掛けるためだった。

   ◆  ◆

 古川知事がパソコンを操作すると、会場正面のスクリーンに文字が映し出された。「がんは日本人の死亡原因の第1位」。そして炭素線照射でがん細胞が消滅した画像に切り替わった。

 次の場面は、北部九州の地図だった。福岡、佐賀、熊本など各都市から伸びる高速交通網の中心に、設置予定地の鳥栖市が浮かび上がった。

 古川知事はアクセスの良さを強調し、最後にこう訴えた。「九州挙げての支援と英知によって、外国からも訪れるような環境を実現したい」

 古川知事のプレゼンテーションに続いて祝辞の先頭に立ったのは、九州電力の松尾新吾会長。開口一番「結論から申し上げます。物心両面で当社のできる限りの支援をお約束したい」。

 松尾会長の視線の先に、古川知事がいた。

 2人は06年3月、佐賀県庁で顔を合わせていた。松尾会長は当時、九電社長。古川知事が玄海原発のプルサーマル計画の事前了解書を手渡した相手だった。

 古川知事が直接、松尾会長にがん治療施設を県内に設置したい旨を伝えたのは、その半年後だったという。08年5月には「鳥栖市に炭素線治療施設を」と、より具体的な話を持って行った。

 再び、会場。松尾会長のあいさつが続いている。「佐賀県と当社は切っても切れない関係にあります。玄海原発で、当社のトータルの発電量の約3割を賄っております。プルサーマルの要望事項でもある『地域への支援』を積極的に行いたい」

 パーティーが終わり、帰路につく招待者を見送っていた古川知事は松尾会長を見つけるなり、深々と頭を下げた。「あれで弾みが付きました」

   ◆  ◆

 だが、松尾会長に会ってがん治療施設への協力を求めた県内関係者は、他にもいた。

 当時の県議長、そして玄海町長だ。=つづく



同じカテゴリー(玄海原発)の記事画像
ネット・多メディア時代の地域ジャーナリズム
原発と暮らすということ2
厚顔無恥!!
1億円が中ぶらり。
呆れた国策!
原発説明会、私の場合。
同じカテゴリー(玄海原発)の記事
 ネット・多メディア時代の地域ジャーナリズム (2012-06-16 23:44)
 原発と暮らすということ2 (2012-06-16 00:20)
 みんなのエネルギー・環境会議 (2012-01-26 14:21)
 自ら立ち上がる (2011-11-07 00:09)
 小さな波紋 (2011-11-05 11:34)
 負の連鎖 (2011-11-04 21:59)

Posted by 昏君 at 21:34│Comments(0)玄海原発
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

平田義信