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玄海原発:町が描いた夢/3 越えられないハンディ /佐賀
毎日新聞(2009/03/06)

 07年2月7日。唐津市の唐津赤十字病院で病院の運営委員会が開かれていた。議題は病院の07年度予算。だが熱を帯びたのは、粒子線がん治療施設の話題だった。

 鳥栖市も候補地になったとのうわさを聞いていた委員の一人、岸本英雄・玄海町長が、委員長の佐藤敏行県健康福祉本部長に声を荒らげた。

 「唐津にもまだその気がある。唐津への設置を進めたらどうですか」

 7カ月後の9月11日、がん治療施設の設置場所や導入装置などを話し合う第1回専門家会議が県庁で開かれた。

 会議のメンバーは、九州の大学を代表する放射線科の教授ら16人。県と同じく誘致を進める福岡市の医療研究会座長を務めた本田浩・九州大教授の姿もあった。

 これほどのメンバーを集め得る設置場所は、唐津市ではなかった。会議は、当初から鳥栖市を推す声が大勢を占めた。

  ◆  ◆  ◆

 「鳥栖で協力できないでしょうか」。佐賀大付属病院の十時忠秀院長(当時)が九州の医学部長病院長会議で呼び掛けたのは、専門家会議の5カ月前。07年4月だった。

 古川康知事は病院長会議が開かれる以前、十時氏に相談を持ちかけていたという。「粒子線がん治療施設を造って原発やプルサーマルへの根強い反対や不安を取り除きたい」

 十時氏によると、古川知事は当時、誘致場所を唐津市と想定していた。だが「唐津ありきか」と首をひねった十時氏は、古川知事に候補地の条件を挙げた。

 粒子線がん治療施設の採算ラインの患者数を見込める▽福岡の経済界がカネを出しやすい▽優秀な医師を九州各地から集められるアクセスの良さ--。

 説明を聞いた古川知事は、考えを変えたという。「鳥栖でいい」

 「シンクロトロンも鳥栖だった。今度もまた鳥栖か」。唐津市への誘致を進めていた原口義己県議は、古川知事にそう言った。

  ◆  ◆  ◆

 鳥栖市は九州の高速交通網の要という立地条件から「ハート・オブ・九州」と呼ばれる。

 活発な企業誘致も相まって同市の人口は10年前より13%増え、約6万7000人。06年2月には原発立地道県への文部科学省などからの電源交付金計47億円を投じた研究施設「県立九州シンクロトロン光研究センター」も開所し、07年度は地方交付税の不交付団体となった。

 一方、玄海町も地方交付税なしでやっていける十分な財政力がある。1人あたりの地方債残高は九州一低い。しかし人口は10年前より14%減り、現在は約6600人。

 がん治療施設誘致でも、地の利の悪さというハンディを乗り越えることはできなかった。

  ◆  ◆  ◆

 今も粒子線がん治療の資料が並ぶ、玄海町の町長室。

 「治療施設を造ったら道路ができるかもしれないということを考えなかった。道路がないから(誘致は)無理だと途中で腰が砕けた」と岸本町長は振り返った。

 岸本町長の頭には、かつて町の起爆剤となった九州電力の「玄海エネルギーパーク」が浮かんでいた。=つづく



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Posted by 昏君 at 21:04│Comments(0)玄海原発
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平田義信