2008年11月03日
光緒帝の死因

光緒帝は中国清朝の第11代皇帝です。
清朝末期の皇帝で、清がその力を急激に衰えさせていた頃に帝位につきました。
いわゆるラストエンペラー宣統帝(愛新覚羅 溥儀)の1代前の皇帝です。
帝位についたのは3歳の時、伯母の西太后によるものです。
その当時の清朝では西太后が権力を掌握し、”垂簾聴政”を行っていました。
光緒帝も生涯において傀儡にすぎませんでした。
そして最後は西太后に毒殺されたと噂された皇帝です。
この毒殺説は信憑性は高い物の、決め手となる証拠がなく伝説の域を出ていませんでした。
しかし、このほど専門家チームが死因がヒ素中毒であることを発表しました。
専門家チームは2003年に調査を開始し、光緒帝の遺髪や遺骨、衣服などをエックス線などで科学的に調査。
衣服の一部や頭髪から致死量を超えるヒ素が検出されました。
そして、この研究成果は、国家清史編さん委員会による「清史」に組み入れられるそうです。
これによって長年の疑惑に対して、中国当局の公式な見解が出た事になるのでしょうね。
どちらにしても、不運な人生であった事は確かですね。
甥のラストエンペラー溥儀も波乱の人生をおくり、平民に落とされ、最後は癌の治療もまともに受けられませんでした。
ですが毒殺されるよりは、生を全う出来ただけマシかもしれません。
Posted by 昏君 at 21:16│Comments(0)
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