2009年02月15日
謎多き日本
中国にとって日本と言う国は、謎の多い存在のようです。
日本史の上代から中古にかけては、他のアジア諸国と同じく日本も中国文化圏でした。それに変化が現れ出したのは中世以降の武士の世になってからではないでしょうか。そして戦国末期に西洋文化との接触以後、日本は中国文化圏から独立した歩みを始めたと言えるでしょう。明治以降は更に急激な西洋化が進みました。
アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンは、その著書『文明の衝突』中で世界は大きく7つの文化圏に分けられるが、日本だけはそのどの文化圏に分類出来ない8番目の独立した文化圏だと述べています。
明治維新、第二次大戦の敗戦と近代以後2回も大きな転換点を迎えた日本は、一見完全に欧米化したように見えつつも独自の要素を守り続けている。こうした外来の文化を大胆に取り込む「保守にして革新」であることが日本の特徴だと分析しています。
この事が中国の環球時報の記事に掲載され、「日本はなぜ独立した文明なのか?決して完全に欧米化したわけではない」と述べられているそうです。
中国人の心の中には、未だに中華思想が残っています。彼らにとって日本は心の奥底では、未だに未開の属国なのでしょう。しかし現実はそうではない。この複雑な心情が、反発と羨望と言う相反する感情となって表れているのでしょうね。
今後、日本と中国との経済的な結び付きは強まっていく事は確実です。その中で中国と付き合っていくには、中国人のこう言った感情をよく理解する必要があるのは確かですね。
7つもしくは8つの主要な文明 『文明の衝突』 サミュエル・P・ハンティントン

【凡例】
西欧文明-青
東方正教会文明-水色
イスラム文明-黒/
アフリカ文明-茶色
ラテンアメリカ文明-紫
中華文明-赤
ヒンドゥー文明-黒/○
どの主要な文明にも属さない-無地
日本文明-黄緑
日本史の上代から中古にかけては、他のアジア諸国と同じく日本も中国文化圏でした。それに変化が現れ出したのは中世以降の武士の世になってからではないでしょうか。そして戦国末期に西洋文化との接触以後、日本は中国文化圏から独立した歩みを始めたと言えるでしょう。明治以降は更に急激な西洋化が進みました。
アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンは、その著書『文明の衝突』中で世界は大きく7つの文化圏に分けられるが、日本だけはそのどの文化圏に分類出来ない8番目の独立した文化圏だと述べています。
明治維新、第二次大戦の敗戦と近代以後2回も大きな転換点を迎えた日本は、一見完全に欧米化したように見えつつも独自の要素を守り続けている。こうした外来の文化を大胆に取り込む「保守にして革新」であることが日本の特徴だと分析しています。
この事が中国の環球時報の記事に掲載され、「日本はなぜ独立した文明なのか?決して完全に欧米化したわけではない」と述べられているそうです。
中国人の心の中には、未だに中華思想が残っています。彼らにとって日本は心の奥底では、未だに未開の属国なのでしょう。しかし現実はそうではない。この複雑な心情が、反発と羨望と言う相反する感情となって表れているのでしょうね。
今後、日本と中国との経済的な結び付きは強まっていく事は確実です。その中で中国と付き合っていくには、中国人のこう言った感情をよく理解する必要があるのは確かですね。
7つもしくは8つの主要な文明 『文明の衝突』 サミュエル・P・ハンティントン

【凡例】
西欧文明-青
東方正教会文明-水色
イスラム文明-黒/
アフリカ文明-茶色
ラテンアメリカ文明-紫
中華文明-赤
ヒンドゥー文明-黒/○
どの主要な文明にも属さない-無地
日本文明-黄緑
Posted by 昏君 at 21:37│Comments(0)
│(* ̄ρ ̄)”ほほぅ…
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